百年の歴史を越えて

壱 勝山藩主・小笠原家に愛育された「一本義」

蔵入りの日、昭和初期。

越前勝山藩は、江戸初期、徳川家康の次男である結城秀康が治めた福井藩の支藩として成立しました。しかしその直後、廃藩を経て幕府直轄領となります。再び越前勝山藩が立藩されたのは、1691年のこと。美濃より小笠原貞信公が転封され、明治維新の廃藩置県までの180年間、小笠原家が8代に亘り勝山を治めました。
 小笠原家は室町時代より武家の礼法を伝える家系であり、その理念は行儀作法の代名詞「小笠原流礼法」として現代にも伝えられています。そんな文人大名であった小笠原家が、御用酒として代々愛育した酒銘が「一本義」でした。

弐 明治三十五年創業「一本義」の物語

初代の直蔵より、農業を中心として林業・生糸業・機業などで生計を立ててきた久保家でしたが、明治35年、隣家の酒造家が廃業されるということで、5代目当主の仁吉が酒蔵・道具一式を買い受け、酒造業を興しました。当初の酒銘は、地籍(福井懸大野郡勝山町澤)に由来するとともに、白山の伏流水による豊かな湧き水を象徴した「井」を併せ、「澤乃井」としました。しかし、この酒銘を長らく名乗り続けることはできませんでした。当時の家業の中核であった機業製品の出荷と合わせて、横浜へ酒を持参した際に、東京にこの時すでに百年以上前から同銘を使われている酒造元があったことを知るのです。その帰りの汽車中、たまたま隣り合ったのは同郷勝山の屈指の素封家といわれた笠松家のご当主でした。
 酒銘を再考する必要があることを話すと、「それならば、うちが昔殿様から拝命した酒銘を受け継いだらどうか」と、勝山藩小笠原家の御用酒銘であった「一本義」を譲り受けることになったのです。
 一本義は、禅語「第一義諦」に由来し、それは「最高の真理、優れた悟りの知恵を極めた境地」を意味します。
 現在、勝山で造り酒屋は弊社一軒のみ。勝山の歴史にとって大切な意味のあるこの銘を受け継がせていただいた誇りを胸に、しっかりと後世に伝えていきたいと思っています。

昭和初期、横浜地区特約店にて。商店前の菰樽と正面の木彫り看板に「一本義」の銘が見える。

参 奥越前地酒「一本義」限定流通酒「伝心」

一本義の定番商品「赤の一本義 上撰本醸造」と
緑の一本義 金印

「一本義」は、以来百有余年に亘り、福井の食生活の中で育まれ、昭和の始め頃より福井県内の酒造家としては製造・販売高ともにトップブランドに成長します。
 平成に入り、酒の級別制度が廃止された頃、一本義久保本店は全国有数の酒米産地に所在する酒蔵として、できうる最良の酒造りを具現化するため、「一本義」とは別に、新たな限定流通ブランドを立ち上げました。地元の契約栽培農家と共に「酒造りは米づくりから、米作りは土壌づくりから」を合言葉とし、「五百万石」・「山田錦」・「越の雫」という3種類の酒米を育て、通年4種、限定1種、季節4種の酒を醸しています。人が面と向かい、話し合うだけでは心を通い合わせることができないとき酒が一滴の魔法となって心を伝え、和を結ぶことができる。日本人がはるか昔から大切に育んできたそんな知恵をもとに、新たに立ち上げたブランドには、「伝心」と銘を付けました。
限定流通酒「伝心」

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